サラリーマンをやめたら、しあわせになった(超)。
サラリーマンをやめたら、しょうーじきいろいろ大変なことも多かった。
けど、
サラリーマンをやめたら、しあわせになった(ど超)。
不都合で無駄な時間やストレスが全部なくなって、人生を生きることにすべての資源を投入することができる。
サラリーマン時代は、ほんとうにアホらしいことに右往左往して時間や精神を消耗することがおおかった。
いまは、すべての努力が誠実に報われる。
余分なものをどんどん断捨離することもできる。
なにより、生きるスキルアップ速度が全然違う。
疑うことなく考えることなく何十年も繰り返してきた。
いくばくかの不確かな賃金と不安から逃げるため一時しのぎの麻酔をうち続けるような生活だったがサラリーマンを止めてほんとうによかった。
サラリーマンをやめたら、収入が激減した。
サラリーマンを辞めるといいことばかりじゃない。
いいことのほうが多いが、困ったことも起こる。
サラリーマンを辞めると、収入が激減した。
ひどい人の場合は、半分以下になる。
サラリーマンを辞めるとよいことが大半だが、
かなり重要度の高い収入については、かなりの減少がほぼ間違いない。
毎月、固定給が入ってこないので、精神的にもつらいときが多い。
サラリーマンを辞めるリスクは高いといわれる。住宅ローンなどの長期ローンを組んでいたり、扶養家族がいたりすればなおさらだ。
安定雇用の恩恵を受けている人はサラリーマンのままがいいとはおもう。
とくにそういう属性の人は飲食系の独立はまずやめたほうがよい。
でもいまや公務員でも定年退職や年功序列が社会構成上、いささかむずかしくなっている。が、あと10-20年は大丈夫だろうか。
収入は激減するのだから、サラリーマンを辞めるリスクは高いといわれるのは常套句。
でも、いまや花形といわれるような職業や上場企業、国家資格業などは飽和状態で需要過多。
かといって、起業してもほとんどうまくいかない。
最近の企業では50歳前で依願退社する人もすくなくないが、再度サラリーマンを選択すれば間違いなく所得は下がり続ける。
それでも企業自体がなくなったり職業自体が50歳過ぎてなくなれば、自動的に退職せざるを得ないため、その後のリスクはかなり高くなる。
需要が消滅した同じ業態で需要が増えることはまずない。
同業や同職の知識や経験、能力は需要がなくなっていることは容易に予想できる。
そう、収入は激減するのだが、作業員としてのサラリーマンはかなりリスクが高い。
多少の蓄えなんて、日本で生活すると4-5年ですぐなくなってしまう。
サラリーマンをやめたら収入は激減して、困ることも多いが、きちんと向き合えば将来に対して投資ができる。時間もできるし、通勤やまったく建設性がない交際費、不利益を被る社会関与がなくなるなど、ものすごくオプションサービスがついてくる。
また環境にもやさしい生活になるし、生きることを見直して人生を再点検する機会になる。
サラリーマンをやめると収入が激減するが、これはリスクではなく投資として考える。
サラリーマンを続けてある時、不意に社会に放り出されるリスクを比べると、どうも作業員としてサラリーマンをやることのほうが、かなりリスクは上がるのではないか。
作業員は沈むことはないだろうが、浮かびあがることもない。
作業員だと需要と供給のバランス次第では、すぐに仕事がなくなる可能性は高い。
別に作業員を否定しているのではない。作業をする人がいないと今の社会は成り立たない。
でももしサラリーマンを辞めてしまおう、やめてしまったとしたらその恩恵はお金では換算できないほどの財産になることはほぼ間違いない。
疑うことなく考えることなく何十年も繰り返してきた。
サラリーマンを手放したら幸福感は増すばかりだ。
いくばくかの不確かな賃金と不安から逃げるため一時しのぎの麻酔をうち続けるような生活だったがサラリーマンを止めてほんとうによかった。