サラリーマンをやめたら、税金の仕組みがよくわかった。
毎月のサラリーだと手取りになるとあら不思議、税金はすべて徴収されてから所得となるので、あら不思議、もっと手取りが増えないかな?ぐらいで思考は停止します。
会社負担が半分とはいえ、給与の4分の1ぐらいはすでに天引きされています。
手もとにある手取り額から、さらに消費税とか公共費用の支払い、家賃地代を支払っていったいいくら残るのだろうか?
実は消費税を支払ったお酒やチーズ、衣料品からハンドバック、ガソリンから車のローンまでさらに高関税されている値段。それらの製造過程にもさらに課税。原料にも輸入輸出にも課税。そしてそれらすべてに消費税。
いったい何重構造で課税しているのだろうかを考えていると、夜も明けてします。
われわれの税金というのは、この難解なシステムを作ることと運用するために実は多額の維持費用がつかわれている。
216円のビールは、一般人がわかるだけでも93円がすでに税金。さらにほかの工程にも課税されているから、いったい、原価はいくらなんだと考えてみると、すこしひきつった笑顔になります。
販売者が利益を考えてる売値が80円としてビールがレジで216円に化けないのが、この適当で巧妙な税制のわかりやすい事例のひとつ。
ビール税・酒税もビール、発泡酒、第3のビール、そのうち同一税率にするように国会で調整されているし、そうなるのだろうと。
350ml缶の第3のビールが28円、発泡酒47円、ビールが77円、この差額の根拠はないのです。これを一律55円にしようと、税金で運営されている話し合いで進められている。
根拠がないから異なる種類のお酒が、同一税率にできるわけです。
このぐらいなら徴収できているから、この辺ならギリギリだいじょぶじゃね?そんな思惑がサラリーマンをやめたら手に取るようにわかるようになりました。とにかく適当でいい加減なくせに、価格設定は巧妙に税金をたくさん消費して決めていきます。
税金や税制度が不要とは少しも思いませんが、幾重にも巧妙に多重に課税され、その使途不明金がおおいことと価格設定の杜撰さがどうしても納得できなくなります。
サラリーマンをやめたら、言い値の税金をまともに納められやしないと感じた。最初からその前提で課税しているとしか思えない適当な数字と知った。
最低限の日本での生活を考えた場合、所得と納税のバランスが単純に成立しない。
実直なところ、だいたいこのぐらいむしり取れる。そんな声が聞こえてくる価格設定。
それで役所窓口では「お客様」というのだろうか。
だとすれば言い値の金額を無条件で請求できる公共サービスは、カモだらけの努力のいらない楽園だ。
子どもを産めば世帯の生産率は下がり出費があがるのに、なぜ無茶な価格設定の課税をするのか。脱税や所得隠しを前提としているような価格設定に感じる。
さらに税制をよくよく知ると、少子化を国の方針として進めていることがわかる。
それは親などの資産から調達や借入による支払いを見込んでいるからだ。だから無茶な税率で請求している。振り込め詐欺を国家として行うとこうなるのだと感じた。
税金だけでいえば、給料が40万~50万ないと日本でこどもなんて育てられない。でも世の中に毎月80円以上の実質的な利益の上げられるサラリーマンがどのぐらい存在できるのだろうか?
脱税や所得隠しをしている人とそうじゃない人、どちらが前提の課税額なのだろうか?
いまだに日本は交際費としてとんでもない額を世界で使っている。外国にはいろんな名目で何千億円も何兆円もばらまいている。これが中央銀行で無造作に刷られていたら。我々の労働力は海外に安価にばらまいて、さらに税収を言い値でしなくてはいけないわけで。
それは仕事をしても、税金を納めても生活はそんなに向上することはなく、国民1人あたり借金が800万ありますというデマの怪ニュースがメディアで流される。
サラリーマンをやめてよかったのは、こういう税金の仕組みがより理解できて、財務省というのがとんでもない連中の集まりではあるけれど、原因は期間高額労働者の国会議員にもたぶんにあり、元をたどると政治や行政に無関心で行動をしなかったアホな自分であることがわかったことです。
疑うことなく考えることなく何十年も繰り返してきた。
サラリーマンを手放したら税金の仕組みをより理解することができた。
いくばくかの不確かな賃金と不安から逃げるため一時しのぎの麻酔をうち続けるような生活だったがサラリーマンを止めてほんとうによかった。